茶道物知り資料

人物
荒川豊三
あらかわとよぞう
一休
いっきゅう
尾形乾山
おがたけんざん
緒方光琳
おがたこうりん
大塚啓三郎
おおつかけいざぶろう
大樋長左衛門
おおひちょうざえもん

織田有楽斎
おだうらくさい
栄西禅師
えいさいぜんし
海老屋清兵衛
えびやせいべい
片桐石州
かたぎりせきしゅう
河合寛次郎
かわいかんじろう
小堀遠州
こぼりえんしゅう
島岡達三
しまおかたつぞう
千家十職
せんけじゅっしょく
千宗旦
せんそうたん
千利休
せんのりきゅう
武野紹鴎
たけのじょうおう
野々村仁清
ののむらにんせい
濱田庄司
はまだしょうじ

バーナードリーチ
ばーなどりーち
福田裕太郎
ふくだゆうたろう
古田織部
ふるたおりべ
松井康成
まついこうせい
村田珠光
むらたじゅこう
利休七哲
りきゅうしちてつ


道具・茶室
赤絵
あかえ
有平糖
あるへいとう
一重切り
いちじゅうぎり
五つ棚
いつつたな
井戸型茶椀
いどがたちゃわん
薄板
うすいた
薄茶
うすちゃ
枝炭
えだずみ
主菓子
おもがし
皆具
かいぐ
懐紙
かいし
書付
かきつけ
菓子器
かしき
刀掛け
かたながけ
勝手付
かってつき

かま
紙釜敷
かみかましき
貴人畳
きにんだたみ
裂地
きれじ
黒文字
くろもじ
光悦七種
こうえつしちしゅ
小燈
ことぼし
こもがい形茶碗
こもがいちゃわん
今日庵
こんにちあん
三井戸
さんいど
三器
さんき
三炭・三露
さんたんさんろ
三柄杓
さんびしゃく

じく
島台茶碗
しまだいちゃわん
助炭
じょたん
辰砂釉
しんしゃゆう
透木
すきぎ
杉なり茶碗
すぎなり
台目
だいめ

たな
煙草盆
たばこぼん
短檠
たんけい
茶入
ちゃいれ
茶掛け
ちゃがけ
茶器
ちゃき
茶巾
ちゃきん
茶室
ちゃしつ
茶室小間
ちゃしつこま
茶室広間
ちゃしつひろま
茶室四畳半
ちゃしつよじょうはん
茶室の構成
ちゃしつのこうせい
茶杓
ちゃしゃく
茶筅
ちゃせん
茶壷
ちゃつぼ
茶道具
ちゃどうぐ
茶花
ちゃばな
茶碗
ちゃわん
茶碗各部名称
ちゃわんかくぶ

つくばい
テラコッタ 天目茶碗
てんもくちゃわん
長熨斗
ながのし

なつめ
躙り口
にじりぐち
灰釉
はいゆう
箱書
はこがき
端反茶碗
はたぞりちゃわん
八寸
はっすん
羽箒
はぼうき
花入れ
はないれ
柄杓
ひしゃく
平茶碗
ひらじゃわん
帛紗
ふくさ
不審庵
ふしんあん
蓋置
ふたおき
風炉
ふろ
風炉先
ふろさき
風炉の種類
ふろのしゅるい
ベンガラ
べんがら
前欠き風炉
まえかき
丸山宝
まるさんぽう
眉風炉
まゆぶろ
水指
みずさし
水次
みずつぎ
結び柳
むすびやなぎ
もぐさ土
もぐさど
釉薬
ゆうやく
四大懐紙
よんだいかいし
楽茶碗
らくちゃわん
利休三花入
りきゅうさんはないれ
和三盆
わさんぼん
割高台
わりこうだい
露地の七つ石
ろじのななついし









言葉
朝茶事
あさちゃじ
暁の茶事
あかつきのちゃじ
跡見の茶事
あとみのちゃじ
穴窯
あながま
居前
いまえ
一井戸二楽三唐津
いちいどにらくさんからつ
一二三之式
いちにっさん
のしき
陰陽五行説
いんようごぎょうせつ
一期一会
いちごいちえ
一楽二萩三唐津
いちらくにはぎさんからつ
裏千家
うらせんけ
遠州七窯
えんしゅうなながま
大寄せの茶会
おおよせ
お庭焼
おにわやき
表千家
おもてせんけ
懐石
かいせき
花押
かおう
花月之式 
かげつのしき
員茶之式
かずちゃのしき
曲尺割
かねわり
客付
きゃくつき
口切の茶事
くちきり
国焼き
くにやき
小習十六ケ条
こならい
三光の置付け
さんこうのおきつけ
三千家
さんせんけ
三宗匠
さんそうしょう
三伝家
さんでんけ
且座之式
さざのしき
四規七則
しきしちそく
敷き松葉
しきまつば
七事式
しちじしき
正客
しょうきゃく
正午の茶事
しょうごのちゃじ
初炭
しょずみ
松樹千年翠
しょうじゅせんねんのみどり
焼成温度
しょうせいおんど
松籟
しょうらい
茶事
ちゃじ
茶事七式
ちゃじしちしき
茶カブキ之式
ちゃかぶきのしき
茶筅通し
ちゃせんとおし
茶筅棗の置き合わせ
ちゃせんおきあわせ
茶の湯の季節
ちゃのゆのきせつ
茶の湯五時
ちゃのゆのごじ
茶の十徳
ちゃのじゅっとく
中置
なかおき
習事十三ケ条
ならいごと
日々是好日
にちにちこれこうじつ
日本三名席
にほんさんめいせき
日本六古窯
にほんろっこよう
野点
のだて
拝見
はいけん
初釜
はつがま
八朔
はっさく
初風炉
はつぶろ
半東
はんとう
待合
まちあい
末客
まっきゃく
回り炭之式
まわりずみのしき
回り之式花
まわりばなのしき
丸回し
まるまわし
水屋
みずや
武者小路千家
むしゃのこうじせんけ

めい
焼き物
やきもの
焼き物の産地
やきもののさんち
湯相の五段階
ゆあいのごだんかい
釉がけ
ゆうがけ
夜咄
よばなし
四方回し
よほうまわし
利休三花入
りきゅうさんはないれ
利休七則
りきゅうしちそく
利休七哲
りきゅうしちてつ
利休百首
りきゅうひゃくしゅ
陸羽の茶経
りくうのちゃきょう
蝋燭立ち
ろうそく
和敬清寂
わけいせいじゃく







【参考データベース】
文化庁文化財データベース
【参考文献】
定本茶の湯表千家/千宗左(主婦の友社)
茶室/堀口捨己(至文堂)
利休大辞典/千宗左・千宗室・千宗守 監修(淡交社)
原色茶道大辞典(淡交社)
京の茶室千家宮廷編/岡田孝男(学芸出版)
茶器とその扱い/佐々木三味(淡交社)
原色陶器大辞典/加藤唐九郎編(淡交社)
図説茶道体系(角川書店)
茶室百選/中村昌生(淡交社)
うるし工芸辞典/光芸出版社編



荒川豊三
 日本伝統工芸展昭和27年 工芸技術関係で荒川豊三 (志野)ほか35件を選定

緒方光琳



尾形乾山(おがたけんざん) 

江戸時代(1663-1743)の陶工で尾形光琳は兄です
野々村仁清に陶法を学び、37才の時元禄12年(1699)京都鳴滝泉谷に開窯しました
乾山の名は、鳴滝が京都の乾(いぬい)の方向にあたるので、作陶に関して用いた号です
初期の作品は、兄光琳が絵を描き、乾山が賛を書した合作が多数残存します
晩年江戸(享保年間=1716−1736)に出て入谷に住みこの頃の作品を入谷乾山と称しました
寛保3年(1743)年江戸にて81才の生涯を閉じました
乾山の作品は、焼成火度の低い軟陶質の焼き物で、鉄絵、染付、白化粧、上絵付などで模様意匠を施しています
作品には【乾山】の銘が書かれている。



大塚啓三郎
嘉永6年(1853年)、当時26歳だった大塚啓三郎が「根古屋(地名)」に窯を築き陶業を開始したのが、
今日の益子焼の始まりとされています



大樋長左衛門


茶道のみならず加賀の美術工芸に大きな影響を与えたようです
裏千家の始祖・四世仙叟宗室居士と初代長左衛門の作品を展示した第一室です。
茶人と陶工との関わりといえば、まず利休と長次郎があげられます。
それまでの均整のとれた唐物とは、異なり手で捏ねて形づくり、焼成時に自然に発色した素朴な茶碗の色はまさに侘びの心に通じるものでした
大樋焼本家十代長左衛門窯・大樋美術館
〒920−0911 石川県金沢市橋場町2−17
п@076−221−2397  
Fax 076−221−2123
入館料 一般・700円 団体(20名以上)・600円 中学生以下・500円
開館時間 9:00〜17:00  年中無休


織田有楽斎(うらく)
信長の弟で信長の死後出家して如庵有楽となり、秀吉の御伽衆となりました
有楽流茶道の祖です




加藤唐九郎



代表作「氷柱」「紫匂ひ」他
「永仁の壷」事件
昭和三十四年「国の重要文化財」に指定された「瀬戸飴釉永仁銘瓶子」いわゆる「永仁の壺」が
加藤唐九郎による倣作であることが告発され、小山富士夫技官が官職を辞した事件です


河合寛次郎記念館


河井寛次郎記念館
(かわいかんじろうきねんかん)
東山区五条坂鐘鋳町569  電話075-561-3585
(午前10時〜午後5時、入館午後4時30分まで)
展示:河井寛次郎(陶工)の住居、仕事場、窯、作品、収蔵品等の公開、展示。
メモ:一般 700円 学生(大・高) 500円 小人 300円
   月曜日、12.24〜 1.8頃、8.10〜8.20頃休館
交通:JR「京都」駅より市バス206 番 「東山馬町」下車徒歩2分


片桐石州(せきしゅう)
大和小泉藩主で秀吉の下で勇名を馳せた片桐且元の甥です
小堀遠州を継いで将軍家茶道師範となりました
利休から道安、宗仙へと伝わった茶の湯を学び武家流茶道を完成しました
石州流茶道の祖



小堀遠州 (えんしゅう)
はじめは秀吉の弟秀長に仕えましたが秀長没後秀吉に仕えるようになり、後に徳川将軍家茶道師範となりました
武家茶道と公家的茶道の融合を図りました
古田織部の門下で遠州流茶道の祖


清兵衛
海老屋清兵衛
享保年間の陶工(1700年代)

千家十職
千家とお取引のある職方で、特に大切にされている茶道具を造っています

陶工茶碗15代楽吉左衛門
柄杓師柄杓など13代黒田正玄
指物師棚物・曲げ物など15代駒沢利斎
土風炉師茶碗・水指しなど16代永楽善五郎
釜師風炉釜15代大西清右衛門
袋師袱紗など12代土田友湖
金物師建水・火箸など11代中川浄益
一閑張り細工師薄茶器・長板など15代飛来一閑
塗師盆・香合など12代中村宗哲
表具師軸物・襖など12代奥村吉兵衛


千利休
武野紹鴎について珠光流を学び、侘び茶事を大成しました
多くの門弟により継承され、また各流派に分派し、孫宗旦の三人の息子より家は分かれて「三千家」を派生しました
「三千家」 裏千家・表千家・武者小路家




千宗旦(そうたん)
少庵の子で母は利休の娘婿です
生涯仕官せずに自由な境遇で茶の道に精進し。侘びに徹したため、乞食宗旦の異名があります




武野紹鴎(たけのじょうおう)
茶道は珠光にはじまり利休居士によって大成されたが、この二人をつなぐのが紹鴎、 
侘びの理念を確立
堺(大阪)豪商の出身で千利休の師です。
珠光の侘び茶に傾倒し、その茶風を継承しより簡素化につとめたと言われます
特に、茶杓については、それまでは中国伝来の象牙のものが使われていましたが、それを模して竹の素材を使い始めました
侘び茶の精神を表すものとして、藤原定家の
「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」を侘びの心としました

 


野々村仁清



野々村仁清は丹波の出身です(江戸初期の陶工)
生没年未詳。
通称、清右衛門。京都御室(おむろ)の仁和寺(にんなじ)門前に窯を築いた
京都御室仁和寺門前の御室焼を指導し,京焼色絵陶器の完成者として名高く
茶壷に多くの優品を残しています
狩野派風の影響を受け継いでいます





福田裕太郎
月夜野町の上越新幹線工事現場から排出された削除土。
波佐見焼の産地・長崎県で生まれ育った二代福田祐太郎は、この土、この土地で月夜野焼を創始しました。
赤い発色の銅紅釉辰砂と緑青(りょくしょう)のような肌合いを出す青銅釉焼成が月夜野焼の特徴です。
福田祐太郎記念館  (入場料200円)
月夜野焼 祐太郎窯  慕陶館(ぼとうかん)
〒379−1303  群馬県利根郡月夜野町上牧2331
TEL 0278−72−5307、 0278−72−5171
FAX 0278−72−6075



濱田庄司


(1894−1978)
1955年第1回無形文化財保持者に指定されました。
1968年文化勲章受賞。
民芸運動を推進した陶芸家です
「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と書き残しました。


島岡達三
(1919−)
独自の「縄文象嵌」の世界を築いた陶芸家 です
1946年濱田庄司門下になりました
1962年日本民芸館賞を受賞。
1996年重要無形文化財保持者認定を受けました



バーナードリーチ



英国人バーナード・リーチ氏は六代目尾形乾山に師事し、奥伝を授けられ大正5年当地白樺派同人柳宗悦邸に窯をつくり作陶をはじめられた
『私は東洋と西洋の結婚を夢見続けて来た。はるか悠久の彼方から聖童の声を聞いた。それはいつの日かいつの日か』バーナード・リーチ碑は手賀沼公園



松井康成

 
昭和2年(1927)〜
重要無形文化財「練上手」保持者(平成5年認定) 長野県に生まれる。
明治大学文学部を卒業後、笠間市の古刹月崇寺の住職を継ぎ、昭和35年境内に築窯し、
広く中国古陶磁の技法を研究した後、練上に絞った作陶活動を展開させていった。
練上は、色や濃淡の異なる土を組み合わせていくことによって様々な文様を表す技法であるが、
性質の異なる二種類以上の陶土を用いるため、
土の収縮率の違いなどから乾燥や焼成の段階で割れることも多く、高度な技術を要する。
松井は、練上で用いる色土の収縮率を同じにするための研究を重ね、
練上技法を様々に応用して次々と独自の手法を発表し、陶芸界に新生面を切り拓いた。



村田珠光
 

村田珠光(むらたじゅこう)
       侘び茶の開祖といわれています
       奈良の出身で、僧侶でしたが後に京都で茶人として能阿弥(のうあみ)、一休などと親交がありました
       能阿弥から立花(たてはな)を学び、一休から禅の修業をうけて、侘び茶の精神を確立したといわれています
その後、歌道、禅を学んだ武野紹鴎(1502〜1555)が受け継ぎ、更に今日の茶道に大成したのが茶祖といわれる千利休(1522〜1591)です




辰砂釉(しんしゃゆう)



透明な基礎釉に少量(1−2%)の銅分を入れ、還元焼成をすると血の赤色をした辰砂釉ができます。
辰砂釉といっても牛血紅(ぎゅうけつこう)、火焔青(かえんせい)、桃花片(とうかへん)の3種類があり、
牛血紅が血のように赤いもの、その赤に青紫の炎のような模様の掛かったものを火焔青、
ピンクまたは斑点のある鈍い赤色を桃花片または桃花紅(とうかこう)といいます。



もぐさ土





灰釉
釉薬の原料に用いられる灰の種類はたくさんあります
昔から使われてきた灰には次のようなものがあります
柞灰(いすばい)楢灰(ならばい)栗皮灰(くりかわばい)
樫灰(かしばい)欅灰(けやきばい)松灰(まつばい)
竹皮灰(たけがわばい)藁灰(わらばい)土灰(どばい)
籾灰(もみばい)紺屋灰(こんやばい)

灰釉は酸化、還元どちらの焼成でも用いられます
焼成時間は窯の性質により変わりますが、時間を掛けることで発砲(空気の泡のようなもの)の防止になります



延喜式
延喜式というのは平安時代の律・令・格の施行細則を集成した法典で、醍醐天皇により延喜五年(905)八月に編纂を開始、
二十二年後の延長五年(927)十二月に完成しました。五十巻三千数百条の条文は、
律令官制の二官八省の役所ごとに配分・配列され、神祇官関係もこの中で規程されています。




ベンガラ


粉末アルミニウムと酸化鉄(V)
(ベンガラ)の混合する割合は、アルミニウム:酸化鉄(V)=10g:13gぐらい



「秋草文壷」(あきくさもんこ)
昭和27年日吉郊外の白山古墳から出土した国宝で、慶応義塾大学所蔵



旧帝國ホテルのテラコッタ




お庭焼
日本の盆栽は、茶道に源を発しています
室町時代後期に村田珠光の出現とともにお茶が栄えると共に発展し、
江戸時代に入ると各大名から町民に至るまで幅広く盆栽を楽しむようになりました
(盆栽のもっとも古い文献として、鎌倉時代に作られた『法然上人絵伝』に盆栽絵図が有ります)
江戸時代は多くの大名たちの間で、盆栽鉢もブームになり盆栽鉢専属の焼き物師を抱えて、
盆栽の競技会が模様されるまで流行したと言われています。
このなごりの鉢として、お庭焼きと言う盆栽鉢が有ります
徳川家が名古屋城内に残した尾張焼きといわれているお庭焼きなどがそうです



国焼き




穴窯



中世の丹波焼は、創業以来桃山時代末期に至って山麓に登り窯が築かれるようになるまで、約400年の長きにわたって穴窯時代が続きました。
今田町(現篠山市今田地区)は当時摂津住吉神社の荘園で「小野原荘」と称していたところから
「小野原焼」と呼ばれ、三本峠周辺の山腹に穴窯を築いて焼成されました。
現在までに発見されているその古窯跡は、三本峠・床谷(とこらり)・源兵衛山・太郎三郎(たさうら)・稲荷山の5か所です。
穴窯は、山腹の傾斜地に溝を掘り込んで石や粘土で固め、天井を築いて土をかぶせるという、極めて簡単な構造です。
穴窯による焼成にはかなり長い日数(半月ぐらい)を要し、また、焼成室が1室のため、1回の焼成量は限られたものでした。



割高台






滝沢宗文の茶道教室はここをクリック