茶道物知り資料
ひらがな | 言葉 | 解説 |
だいとうこくし | 大灯国師 |
大徳寺を開山した宗峰妙超のことです 播磨の国に生まれ後醍醐天皇に正灯国師、花園天皇に興禅大灯国師の国師号を賜りました |
だいとくじ | 大徳寺 |
京都紫野に大灯国師が開いた寺です 応仁の乱などで荒廃しましたが一休宗純が再興しました 多くの茶人がここで禅を学ぶなど茶の湯と深いつながりがあります |
だいめ | 台目 |
台目構えの茶室を指します 点前座の畳が台目畳になっているものです 台目畳というは丸畳から台子の幅一尺四寸と屏風の厚さ一寸の計一尺五寸だけ縮小されている畳です |
たけのじょうおう | 武野紹鴎 |
茶道は珠光にはじまり利休居士によって大成されたが、この二人をつなぐのが紹鴎、 侘びの理念を確立 堺(大阪)豪商の出身で千利休の師です。 珠光の侘び茶に傾倒し、その茶風を継承しより簡素化につとめたと言われます 特に、茶杓については、それまでは中国伝来の象牙のものが使われていましたが、 それを模して竹の素材を使い始めました 侘び茶の精神を表すものとして、藤原定家の 「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」を侘びの心としました |
たな | 棚 |
茶室の中で水指を置く棚台(漆塗り、木地や竹製)です 天板には棗を置く約束があります |
たばこぼん | 煙草盆 |
煙草盆には火入れ(種火が入っています)、煙草、キセル、灰吹き(竹製の灰皿)などが入っています 薄茶が始まる前に、座布団と共に煙草盆を出すのが約束です 最近では飾りの要素が強く実用的ではなく大寄せの時は最初から席に置いてあり正客の席位置を示しています |
たんけい | 短檠 |
短檠:灯火具の一です。本来はたけの低い灯台のこと、一般には油皿が柱の中途につき、 柱立の台を箱形につくったもので茶席の夜会に多く用いられます 小燈:室内携帯用の小形の蝋燭立て。多く柄がついています。小灯。手とぼし。 |
ちゃいれ | 茶入 | 濃茶を入れる容器です |
ちゃいれごかしょの みどころ | 茶入五箇所の見所 |
茶入の形の見所として、 口、肩、胴、腰、底の五箇所の均整がとれたものをよしとします |
ちゃがけ | 茶掛け | 軸の欄ご参照 |
ちゃかぶき | 茶カブキ之式 |
「茶カブキ之式」とは、三種五服の濃茶をのみ茶銘をあてるという濃茶のテイスティングです まずはじめに銘のあかされた試茶二種をのみます 次に銘のふせられた本茶三種をのんで客がその茶銘を当てます |
ちゃき | 茶器 | 薄茶を入れる容器です |
ちゃきん | 茶巾 |
点前の中で茶碗を清めるときに使われる布です 茶巾の拭き方にもきちんと作法があります |
ちゃしつ | 茶室 |
茶事を行う座敷のことですが、そもそもは書院に炉を切って茶を点てることに始まりました やがて茶の湯の"侘び茶"という精神性を求め始めると、草案風の茶室が好まれるようになりました 一切の贅を排し、そこににじり口など茶の精神を象徴した意匠を組み込むなどして、 精神性をデザインの中に巧みに取り入れ完成された建物です 茶の湯の精神を表現するに室内を極限まで縮小しまして 六畳から四畳半隣、更に草案茶室は一畳台目,三畳台目などといわれる茶室が造られました 茶室ご参照 |
茶室小間 |
茶室は四畳半を基準に、それより小さい場合小間と称します また、大きい場合は広間といいます |
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茶室広間 | ||
茶室四畳半 | ||
茶室の構成 | 茶室欄をご参照 | |
ちゃじ | 茶事 | 一般的な大寄せの茶会ではなく、正式な茶会のことを指す。正式なものは正午の茶事である。 |
ちゃしゃく | 茶杓 |
茶杓は茶をすくう道具茶匙(ちゃさじ)です 古来は象牙でしたが、後に竹(武野紹鴎をご参照下さい)で造られる様になりました 茶杓の種類は大別すると3種類に分類できます 真 基本形を備え節の無いもので、象牙や漆塗り、竹製がある。 行 竹の元節のもの。 草 木製(松・桜・梅・楓など)のものや、竹製でも中節のもの。 |
ちゃじしちしき | 茶事七式 |
一定の形式を備えた茶事で、 朝茶事、正午の茶事、夜咄の茶事、暁の茶事、飯後の茶事、跡見の茶事、不時の茶事を指します 茶の湯の行事ご参照 |
ちゃせん | 茶筅 |
竹を細かく裂いて糸で編んだもので、茶碗に抹茶とお湯を入れ、それを撹拌するための道具です 様々な種類があります (煤竹、白竹、数穂、80本立等々) |
ちゃせんとおし | 茶筅通し |
点前中、茶筅の穂先が壊れていないか調べる所作です 手前の中の一つの手順としてその所作の美しさも見所です |
ちゃせんなつめ おきあわせ | 茶筅棗の置き合わせ | お点前ご参照 |
ちゃつぼ | 茶壷 |
口切の茶事に使用される茶壷の中には5月に採れた新茶が貯蔵密封されています 茶壷は網に入れられて置かれます この茶壷には入日記と呼ばれるお茶の銘柄や種類を明記した書付があります 壷の中には濃茶用の茶や薄茶用の茶が小袋に収められています |
ちゃどうぐ | 茶道具 |
茶室内におきましては茶道具といわれる、いろいろな道具が使われます その茶道具がどのような場所で、どのような配置で使用されるのか(主に)下図に示します 茶道具欄ご参照 |
ちゃのゆのきせつ | 茶の湯の季節 |
炉と風炉の季節があります 風炉(ふろ):釜をかけて湯を沸かす炉 1年を半分(11月立冬から5月の立夏まで)に分けて、立冬から始まる季節が炉の季節です 立花から始まる季節で風炉を使用します 五月始めに炉を閉じて風炉をを開きますが、これを"初風炉の茶事"と申し、大切な心改まる茶事の一つです 茶の湯の季節ご参照 |
ちゃのゆごじ | 茶の湯五時 |
茶事を催す時間帯が異なる茶事 朝茶、正午、菓子、夜咄、跡見の茶事を指します |
ちゃのじっとく | 茶の十徳 |
茶を飲むことで身に備わる十種の徳のことです 明恵上人は、 散鬱気、覚睡気、修身、養生気、除病気、制礼、表敬、賞味、雅心、行道と説きましたが 千利休は、 諸天加護、睡眠遠離、孝養父母、消除重病、貴人相親、 衆人愛敬、煩悩自在、無病息災、寿命長遠、悉除朦気と説きました |
ちゃばな | 茶花 |
茶室に置かれる唯一の生物です 茶花の発生は仏前の立花(たてはな)です 「花は野の花のように」という利休七則に沿って、自然に野に咲いている姿をそのままに生けるものとします |
ちゃわん | 茶碗 | 茶碗欄ご参照 |
茶碗各部名称 | 茶碗の各部名称欄ご参照 | |
つくばい | 蹲 | つくばいご参照 |
てらこった | テラコッタ | テラコッタご参照 |
てんもくちゃわん | 天目茶碗 |
黒いうわぐすりのかかつたやきものを広く一般に我国では天目と呼んでいます。 日本に天目茶碗が持ち込まれたのは鎌倉時代前期とされています。 種類も多く産地、時代、釉調、文様、釉色等で分類されています 二千年の天目の歴史の中で南宋時代(日本では鎌倉時代)に優れた作品が多く神品といわれる天目茶碗があります 日本でも鎌倉期以降、美濃や瀬戸を中心に菊花天目、瀬戸天目という名称で焼かれています 天目という言葉の語源は、鎌倉時代に中国に渡った禅僧たちが宗国の天目山から持ち帰ったことからとされています。 当時は、天目の名は建窯の茶碗、すなわち建盞(けんさん)だけに限られていたようです 中国の建窯(福建省)でできた茶碗を建盞(けんさん)といいますが、天目を代表するものです。 @曜変(ようへん)天目 曜変というのは、内部の漆黒の釉面に釉薬の中に含まれる鉄分が融解し結晶化して大小さまざまの斑紋が一面に現れ、 その周りが瑠璃色の美しい光彩を放っているものです。 曜変は窯変からきており茶人が付けたものといわれています。 曜変として現在有るのは、淀の城主稲葉家伝来の稲葉天目、京都大徳寺竜光院の曜変など数点だけです A油滴(ゆてき)天目 油滴(ゆてき)は曜変(ようへん)に次いで貴重なものとされています 黒い釉面に銀白色の結晶が大小さまざまの斑点になって一面に出ているものです 銀色の油滴はまた、星のようなので星天目とも呼ばれています。 曜変は建盞(けんさん)にしか見られませんが、油滴の方は建窯だけではなく華北の諸窯でも造られています 有名なものに 竜光院の油滴があります。 B木の葉天目(このは) 木の葉天目は黒釉地に実物の木の葉を貼り付けて焼いたものです。 C禾目天目 (のぎめ) 南宋時代に福建省の建窯で焼かれた天目茶碗です 禾目(のぎめ)天目というのも建盞(けんさん)の一種で、紺黒の地に柿 色の細い線条が、 口辺から内外にかけて禾目状(細い流線状)に文様をなしています 曜変や油滴と同じように火の加減で生じたものです。 釉面に禾目の出るのは建盞だけの特徴です (禾目:稲や麦の穂先) D玻盞(たいひさん)天目 釉調が鼈甲(べっこう)に似ているので付いたものです 中国南宋から元の時代にかけて量産されたもので吉安天目または吉州天目ともいわれています。 D白天目茶碗 志野茶碗です 白い長石釉の厚くかかった天目形の茶碗です 徳川美術館所蔵。 |
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