茶道物知り資料

ひらがな言葉解説
あかえ赤絵 色絵、錦手とも言われます
酒井田柿右衛門の赤絵が有名です
あかつきの
ちゃじ
暁の茶事 夜明け前の午前4時ごろ灯火に導かれ茶事が始まります
茶事の進行は、灯火の大きさにより推し量ることができます
灯篭に始まり短檠(たんけい)小燈し(ことぼし)になり、
夜明けが近づくに従い徐々に小さくなってきます
最も寒さが厳しい時期に、日の出とともに窓を開けてその明かりを招き入れるという清冽な茶事です
あさちゃじ朝茶事 茶事七式のうちの一つで夏季の早朝に行われる茶事。 
早朝の涼気が漂う時刻に始まり10時前には終了します
茶会の進行は略式で行われるのが普通です
この時期から趣向により夏茶碗が使われますが、底が浅いためにお点前が少々扱いづらくなります
あとみの
ちゃじ
跡見の茶事 茶事七式の一つ。 
朝茶事、正午の茶事に参加できなかった客を対象で
亭主に御願いをして同じ趣向で開いてもらう茶事のことです 
夜咄は遠慮するのが約束です。
あながま穴窯 中世の丹波焼は、創業以来桃山時代末期に至って山麓に登り窯が築かれるようになるまで
、約400年の長きにわたって穴窯時代が続きました。
今田町(現篠山市今田地区)は当時摂津住吉神社の荘園で「小野原荘」と称していたところから
「小野原焼」と呼ばれ、三本峠周辺の山腹に穴窯を築いて焼成されました。
現在までに発見されているその古窯跡は、
三本峠・床谷(とこらり)・源兵衛山・太郎三郎(たさうら)・稲荷山の5か所です。
穴窯は、山腹の傾斜地に溝を掘り込んで石や粘土で固め、天井を築いて土をかぶせるという、
極めて簡単な構造です。
穴窯による焼成にはかなり長い日数(半月ぐらい)を要し、
また、焼成室が1室のため、1回の焼成量は限られたものでした。
あらかわとよぞう荒川豊三日本伝統工芸展昭和27年 工芸技術関係で荒川豊三 (志野)ほか35件を選定
あるへいとう
有平糖 ポルトガル語で砂糖のことを「アルヘイトー」といいまして
天正時代にキリスト教とともに入ってきた砂糖菓子です
干菓子の一つです
いちごいちえ一期一会 「今日」に対する大きな意義を感じます
確実な時の流れの中で唯一度の出会いである「今日」という瞬間を大切にしたいという
願いが込められています
今日の巡り会いや出会いを尊ぶだけではなく、時間や物との出会い、
更には、今この瞬間の自分自身との出会いまでも大切にすることです
利休居士道歌の中に「何にても置きつけかえる手離れは恋しき人に別るると知れ」とあります
自分から離れる全て(人や道具、物)に対し、慈しみ(いつくしみ)の心を持って手を合わせることが
「一期一会」の心です
いちいどにらく
さんからつ
一井戸二楽三唐津 茶人が茶碗の好みを順位づけた言葉。
形、手ざわり、口当たり、重量感、釉景、肌合いなどを総合的に判断して順位づけたものです
いちらくにはぎ
さんからつ
一楽二萩三唐津 茶人が茶碗の好みを順位づけた言葉。
形、手ざわり、口当たり、重量感、釉景、肌合いなどを総合的に判断して順位づけたものです
いちじゅうぎり
一重切り 竹素材のの花入れです
頭に輪を残してあり、直下に窓口を切りとり、花はこの窓口のところから生けます
いちにっさん一二三之式 「一二三」とは、亭主が点てた濃茶に、客はその点前を拝見しその出来不出来に札を入れます
札の順位で亭主の点前を評価するということになります
いつつたな
五つ棚棚の種類で、丸卓、紹鴎棚、袋棚、四方棚、小卓を指します。
いっきゅう
一休 一休宗純 臨済宗大徳寺派の僧。 
大徳寺47世住持となりました
いまえ
居前 亭主がお点前をするときの正しい座る位置のことです
炉の時は、炉縁の左手前角の内側に膝が相対するよう斜めに座ります(内隅ねらい)
但し、お点前によっては"外隅ねらい"もあります)
風炉のときは、風炉敷板の八寸手前の畳中央に座します 
いんよう
ごぎょうせつ
陰陽五行説 中国の戦国時代、古代哲学として流行し道家 老荘思想化は天を重視し
儒家は人に重点を置いた五行説を唱えました
これを統合したのが陰陽家です
日本にも日本書記、推古天皇の時代につたわり聖徳太子も影響をうけたとされます
これは平成10年出土した木簡から裏付けられました
暦の普及につれて民間の生活の中に根をおろし、今日なお俗信、迷信しとていき続けています

はかり知れない宇宙の大きな軌道のなかの小さい地球上のその点である人間の生活を
陰陽五行説でとらえた中国の思想は、茶の湯の稽古の中に、暮らしの知恵として、 
鎮魂の場として取り入れられています
茶はいながらにして天地四方八方、四季などの万物の摂理を肌で感じとる
妙境をうることでもあります
北斗の星座の象の柄杓を使いこなし、陰陽和合の茶の湯を行います
棗や茶杓の拝見も"問う"という形で拝見に出されます
本日の道具はいかがなものか卜(うらな)ってみませんか。
五行とは、木・火・土・金・水・
木はやがて火となり、火はやがて土となり、土は時をへて金となり、金はやがて水となる
うすいた
薄板花入れの下に敷く板(漆器)で、基本形は3種類(真・行・草)あります
  1. 矢筈板(方形で板の縁が矢筈形):古銅、磁器等の真の花入れ用です
  2. 蛤端(はまぐりば)(方形で板の縁がまるみ):和物で釉薬のかかっているもので行の花入れ用です
  3. 円香台(円形の板)で焼きしめ系の焼き物(楽焼など)や竹製の草の花入れ用です
(籠の花入れには薄板は用いません)
うすちゃ
薄茶 薄茶は若い木から採れたてん茶を使うといわれていますが、
若木のてん茶は味わいがきつめになるからとも言われています
濃茶用原木は樹齢が30年以上で主に70年以上の古木が対象で、その若葉の芽先が用いられます
あるいは、覆下で栽培されるときに、遮光度合いにより濃茶と薄茶に分けるようです
うらせんけ
裏千家 三千家の一つです
表千家・裏千家・武者小路千家
    宗旦の三男江岑宗左が不審庵を譲り受け「表千家」と称しました
        四男仙叟宗室が閑雲亭、今日庵などを譲り受け「裏千家」と称しました
        次男一翁宗守は京都武者小路に分家し「武者小路千家」と称しました
えだずみ
枝炭主にツツジなどの小枝を炭にしたもので、表面に胡粉が塗ってあります
えいさいぜんし栄西禅師 日本臨済宗の開祖で鎌倉寿福寺・京都建仁寺を開山しました
二度宗(中国)に渡りましたが、二度目の帰国の際に茶種を持ちかえり、
茶の栽培と喫茶の方法を伝えました
えびやせいべえ海老屋清兵衛 享保年間の陶工(1700年代)
以後の京焼きに大きな影響を残す
えんしゅうななかま
遠州七窯 千利休。古田織部を継いた小堀遠州(1575〜1674)が好んだ焼き物です
ただし古曽部と伊賀が入れ替わった記載のある文書もあります
志戸呂(しどろ) 静岡県榛原郡
慶長年間に徳川家康が瀬戸の陶工「加藤九郎右衛門景延」を
招いて再興したといわれます
膳所(ぜぜ) 滋賀県大津市
膳所の城主石川忠総が遠州の指導の下に築いた窯でしたが
一代で途絶えてしまいました
上野(あがの) 豊前(福岡県)
細川三斉が朝鮮から連れ帰った陶工「尊楷」が
窯を開きました
高取(たかとり) 筑前(佐賀県)
黒田長政が朝鮮から連れ帰った陶工「八山」が
鷹取山で窯を開いたことに始まります
朝日(あさひ) 宇治
小堀遠州の門下永井信斉が朝日山で
窯を開きました
赤膚(あかはだ) 奈良県奈良市
天正年間(1590年代)に大和郡山城主であった豊臣秀長が
尾張の常滑から陶工「与九郎」を招いて窯を開かせたのが始まりです
古曽部(こそべ) 摂津(兵庫県)
寛政年間(1790年ごろ)に五十嵐新平が釜を築いたのが始まりで
小堀遠州没後の開窯といわれています
おおつか
けいざぶろう
大塚啓三郎 嘉永6年(1853年)、当時26歳だった大塚啓三郎が「根古屋(地名)」に窯を築き陶業を開始したのが、
今日の益子焼の始まりとされています
おおひ
ちょうざえもん
大樋長左衛門 茶道のみならず加賀の美術工芸に大きな影響を与えたようです
裏千家の始祖・四世仙叟宗室居士と初代長左衛門の作品を展示した第一室です。
茶人と陶工との関わりといえば、まず利休と長次郎があげられます
それまでの均整のとれた唐物とは、異なり手で捏ねて形づくり、
焼成時に自然に発色した素朴な茶碗の色はまさに侘びの心に通じるものでした
おおよせの
ちゃかい
大寄せの茶会大勢の客を招いて開かれる茶会です 
おがたけんざん緒方乾山 江戸時代(1663-1743)の陶工で尾形光琳は兄です
野々村仁清に陶法を学び、37才の時元禄12年(1699)京都鳴滝泉谷に開窯しました
乾山の名は、鳴滝が京都の乾(いぬい)の方向にあたるので、作陶に関して用いた号です
初期の作品は、兄光琳が絵を描き、乾山が賛を書した合作が多数残存します
晩年江戸(享保年間=1716−1736)に出て入谷に住みこの頃の作品を入谷乾山と称しました
寛保3年(1743)年江戸にて81才の生涯を閉じました
乾山の作品は、焼成火度の低い軟陶質の焼き物で、鉄絵、染付、白化粧、上絵付などで
模様意匠を施しています
作品には【乾山】の銘が書かれている。
おがたこうりん尾形光琳尾形光琳ご参照
おだうらくさい
織田有楽斎 信長の弟で信長の死後出家して如庵有楽となり、秀吉の御伽衆となりました(利休の高弟)
有楽流茶道の祖です
(1547〜1621)
おにわやきお庭焼き 日本の盆栽は、茶道に源を発しています
室町時代後期に村田珠光の出現とともにお茶が栄えると共に発展し、
江戸時代に入ると各大名から町民に至るまで幅広く盆栽を楽しむようになりました
(盆栽のもっとも古い文献として、鎌倉時代に作られた『法然上人絵伝』に盆栽絵図が有ります)
江戸時代は多くの大名たちの間で、盆栽鉢もブームになり盆栽鉢専属の焼き物師を抱えて、
盆栽の競技会が模様されるまで流行したと言われています。
このなごりの鉢として、お庭焼きと言う盆栽鉢が有ります
徳川家が名古屋城内に残した尾張焼きといわれているお庭焼きなどがそうです
おもがし
主菓子 濃茶の時に席入りする前に(正式には懐石が終わった直後に)出される菓子で
蒸しものや練り物が多いです 
大寄せの茶会などでは、薄茶の席でも出されます
おもてせんけ
表千家 三千家の一つです
表千家・裏千家・武者小路千家
    宗旦の三男江岑宗左が不審庵を譲り受け「表千家」と称しました
        四男仙叟宗室が閑雲亭、今日庵などを譲り受け「裏千家」と称しました
        次男一翁宗守は京都武者小路に分家し「武者小路千家」と称しました






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